|
|||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
印鑑の歴史について ↓古代メソポタミアの印鑑
さらに、印鑑は誰でも持っていいわけではないらしく、印鑑を持っていたのは有力者だけで、そのそれぞれが自分たち独自の印鑑に紐を通して首からかけていたそうです。つまり、一種の階級証みたいなものだったようです。その当時の材質は主に石や宝石でできていました。 また、いまから3000年ほど前エンゲージリングは印鑑でした。紐をとおしやすく針金で指に巻いたのが始まりとされています。つまり、3000年ほど前では指輪は装飾品ではなく、権力、または、地位の象徴だったのでしょう。 このような感じで使われていた、古代メソポタミアで生まれた印鑑は世界各国へと広がっていき、そしてシルクロードを渡り、秦の時代ごろ中国へ。240年頃、魏(今の中国)から倭(今の日本)へ日本最古の印鑑が、入ってきました(これが有名な、女王・卑弥呼の金印です)。印鑑はまず、政府や地方の支配者の公の印として使われ始め、平安・鎌倉時代ごろから個人の印として使われ始めました。 その後、江戸時代に入り、印鑑が庶民の間にも普及していきました。農民の管理などに使われていたと言われています(普及の理由としては、農民が字が書けない人が多かったため、サインすることができなかったのが一番の原因でしょう)。特にそのための印鑑の偽造もあり、江戸中期には死罪から獄門さらし首、引き回しさらし首(両方とも死罪よりも重い罰)などにもなったそうです。江戸が終わり明治になって、ようやく公の印は国の規定に従い、管理・使用されるよになって、現在に至るとなっています。 余談ではありますが、日本でも戦国時代、いろいろな武将がそれぞれ独自の印鑑を持っていました。織田信長なら『天下布武』、豊臣秀吉なら『豊臣』、徳川家康なら『福徳』と言う感じです。また、武田信玄や上杉謙信、北条氏も持っていたらしいです。おそらく、この時代の印鑑は権力者の証だったのでしょう。 ちなみに、古代メソポタミアで生まれた印鑑は欧州各地にも広まっていきました、中世ヨーロッパでは印鑑は古代メソポタミアと同じように、王侯、貴族や時の権力者達の象徴として使われていたのでしょう。中世ヨーロッパでは、封印や認証の印として使われていました。近年、世界中で発見される印鑑や印章の分布状態から四大文明間の交流、数千年前の地域の交易も少しずつ分かってきました。 しかし、現在、欧米諸国では印鑑を押す習慣はありません。ほかの国々も中国など、ごく一部の例外をのぞき、印鑑の制度や習慣はないそうです。そこで、日本に住む外国人が不動産を所有したり、借りたりする際は、サインが一般的なようです。これは推測ですが、欧米諸国で印鑑を押す習慣がなくなったのは、名前が長い(ファーストネーム・ミドルネーム・ファミリーネームのように)のためではないかと思います。 |
||||||||||||
|
|||||||||||||